老天津と新らしい天津


勧業場・八大天


民謡の一節に『天津卫好地方, 繁华热闹胜两江』というのでもわかるように 天津は清の中期には 非常に大きく繁栄していた。
漕运や塩で発展した天津は 人口が密集し、商業が発展し 18世紀中期になるまでには 天津はすでに 中国北部の商業中心地で かつ 北方での第一の港となった。
開港してからの発展振りは「天津の道には銀が転がっている」とまで言われるほどであった。
機会さえつかめば 素手でも一夜にして百万長者になるのも天津では夢ではなかったのだ。

中原公司

河北大胡同を天津人は 「估衣街」と呼んだ。 そこは天津の一大商店街で いろんな商店が軒を連ねていた。
絹の専門店「瑞蚨祥」、「谦祥益」など中国全土でも有名な商店がここから生まれた。
布、靴、帽子、薬屋など 後の北京の「王府井」にも劣らないほどであった。

「估衣街」は2001年から古い建造物を壊し 新しい大胡同として生まれ変わろうとしている。
「估衣街」昨年から新しい大胡同へと改装されるが いくつかの老舗は古いまま残されている(2002年8月改装工事中の様子はここをクリック)

天津の東北角の野菜市場は最も大きく 毎日日が上がる前から賑やかであった。
鶏、鴨、魚、肉、山海のもの必要なものはなんでもあった。
毎年3大まつりの折りの混み具合は水も通らないほどであるといわれた。
ここでは天津の半分以上の肉、野菜、副食品などが扱われていた。

「正兴德」
現在
「正兴德」かつては針市街の一つ北側の路地にあった。 「正兴德」本店 門の上の表札は140年前からのもの(2002年7月) 「正兴德」の内部と公告

「正兴德」本店は数年前現在の河北大街と針市街の交差点に移った。店の中の調度品、棚などすべて昔のものをそのまま用いており すでに140年の歴史がある。

140年の歴史があるお茶の老舗「正兴德」は天津最大のお茶屋である。
この店は産地直送のものであった。茶を摘むところから茶を作るところまですべて産地で作り直送する。
中国人でお茶を飲まない人はいない。だから老舗「正兴德」は永久に繁盛するということを意味するのだ。
茶の老舗「正兴德」の斜め向かいに薬の「保和堂」はなんでも揃っている大薬屋だ。
「五穀」を食べれば病気にならない と言われ 自然に この薬屋の商売は繁盛するのだった。

「勧業場」
現在
勧業場(2002年7月) 勧業場

勧業場は天津最大の百貨店で天津の商業の象徴でもある。 勧業場はすでに70年の歴史を持っている。
天津の勧業場を語ると 勧業場を創めるときの面白い逸話がある。
百貨店をはじめようと思ったある資産家は 当時天津のどこで開業するのが良いかわからなかった。
そこで人を派遣し天津のいろんな通りの調査をさせることにした。
彼は調査の人を各通りの交差点に立たせ 人が一人通る毎に大豆を袋に入れ 後でその大豆の数を数えた。
その結果 現在の勧業場の交差点の人通りが最も多かったため ここに勧業場を開くことになったのだそうだ。

勧業場は開業以来商売繁盛で毎日人人人 本当にひどいときにはどうしていいのかわからないほどだ。
天津勧業場は次第に一つの商店街と化してきた。
また このような商店街のほか 『八大天』という遊戯センターもあった。
この『八大天』とは 「天宮」「天楽」「天緯」「天露」「天華景」「天会軒」「天昇」「天外天」で、  劇場、お茶するところ、ビリヤードをしたり、演芸を見たりなんでもあった。
天津人はショッピングするもしないも みんな『勧業場』に行ったものだ。
まるで3日も勧業場に行かなければ日が過ぎていかないかのようだった。

子供のころの思い出 「縁日」 丁丁当・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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