老天津と新らしい天津
- 第10話 -


万国建築博覧

幾度も映画製作している人が私を訪ねてきては 撮影にふさわしい場所を探すため 天津のいろんなところに連れてっていてほしいとやって来た。
ある人は昔の天津の情緒を残したところが見たいと言い、ある人は昔の洋館を撮りたいと言う。  そして 天津中を走り回るのだが その時 感じるのは 古い天津の建物は本当にメチャメチャになっているし また 天津の市全体としての建設計画は無いといって言いという感覚を持たざるを得ない。  雑然とした古い天津に新しい天津の無秩序が加わり 天津の建築には全く秩序がないと言っていいくらいだ。

天津の旧城郭は小さく、北京の5分の一にも及ばない。 旧城郭は役所が集まっているところであったし また一般人の住居も北京「四合院」の格式の建物であったが 天津の「四合院」は大変小さかったしまた ある型があったわけでもなく 北京の標準的な四合院に比べると 貧相といわざるを得ないのはちょっと残念である。
もともと天津旧城郭は大変小さかったので 外からの移民が増えるにしたがって 旧城郭内に人は住めなくなり 町は城郭の外にどんどん拡大していった。 城郭の外には「海河」という川があり そして海河は天津人に建築の格式を変えさせたのだった。  海河はグニャグニャと天津の中を曲がりくねりながら流れ その川に沿って歩いてみると 天津の建築の方向感がなくなってしまう。更に租界の頃の建物はその独自の風格があり 天津の建築はバラバラというほかはない。
天津旧市街区の瓦葺の家 もともと何の変哲も無く特徴もない 普通の人の家で実用的に作られ 建築学上何も特記する点はない。

旧天津城郭内の写真
旧天津城郭内の写真
天津柳家大院
1920年代の天津旧城郭内

勿論その中でも金持ちの家、例えば 旧塩商人の「旧家」は非常に格式のあるものであるが 北京の『王爷府』に比べれば見劣りがするし、長い間修繕もされることなく 解放前に既にほとんどが壊れてしまっていた。 また それに加え 解放後人口増加に伴い その中庭に小さな家が所狭しと次々に建てられ、 いくらも経たないうちに 大邸宅も小さな家でいっぱいになった。 やっとできた空間もなんとか自転車が通れる位の隙間しかなく、大邸宅は、あっという間に雑居住宅になってしまったのだった。
維多利亜路(現在の解放路)から見た「横浜正金銀行」、「中法工商銀行」
「仪品放货银行」
旧「仪品放货银行」
(2002年9月)
旧「仪品放货银行」の裏
(2002年9月)

旧市街を改造するには旧住居を壊さなくてはならない。 多くの心ある人たちが 昔の歴史的な遺跡を探したずねたが 残念にも ほとんど価値のあるものは見つけられなかった。 聞くところによれば 明時代の井戸、いくらかの瓦当、古い木が発見されたくらいであった。 北京、南京や また杭州、蘇州等のように 一個の石ころでも歴史的文物であるところとは比較にならない。

楊柳清石家大院の劇場

楊柳清石家大院は 清代の8大家の一つ 石家の「尊美堂」と呼ばれていた建物で 現在は博物館として保存されている。

旧門楼建築の『石鼓』

あるとき杭州の町を歩いていた時のこと、 ある民家の石段を見るとなんと宋時代の碑石であったので びっくりして杭州の文物局に電話をしたくらいだ。体を翻して別の家の壁の基礎を見てみると 大きな石の上に稀にしか見れない碑文がかかれており 調べると戦国時代のものであった。

天津の城郭建設は比較的遅かったし また かつて都がおかれたこともないので 旧城郭内は単に一般市民の住居地であったため 歴史的文物は非常に少ないのだ。
天津の近くの黄骅县でかなりの文物が発見されたことがある。 実はここは古代の墓群のあったところで ある家の庭に鶏に食べさせる餌を入れた小さな皿の底に宋時代の「かまど」の印が焼きいれられていたものが発見されたことがある。けれども 噂によれば 骨董商人がここから多くの文物を掘り盗み出して財をなしたとのことだ。 

開港後、天津には9つの租界地が出現し 各租界国が天津で大々的に土木工事を始めた。天津での建築も彼らの国の建築でなければならなかった。それで天津には各国それぞれの風格をもった建築が出現することになった。
現在の解放路には金融機関が立ち並び 『天津のウォール街』と称せられる金融街になった。それぞれの租界地にその国の高級住宅が建築されたが それらは それぞれに独自の体系、風格をもっているので お互い同調しないし かみ合ってもいない。 道路は入りくみ 配置はでたらめで 天津は一大建築博覧会場と化し 天津人でさえ 東西南北がわからなくなってしまうほどだ。

天津租界地の建築は異彩を放つものが多く ロマンチックな色彩のゴチック建築もあれば、西洋古典復興を思わせるバロック建築、ロココ建築、また20世紀を思わせる現代風建築など 天津はまさに『万国建築博覧会』だ。
天津の西洋建築は 銀行、外国商社、教会、別荘などの建築が突出しており 天津の各外国銀行は高層建築で 壮観で 時代が変わった今でも いまだに遜色衰えることなく その雄大な姿を残している。

「日本正金銀行」
「横浜正金銀行」
旧「横浜正金銀行」
現「中国銀行」

1921年設立「天津工商大学」
1960年に河北大学に改名,保定に移転
「天津塩業銀行」の内部

英文学校大講堂
ロシア教会(琼州路に有ったが現在は存在しない)
ロシア租界地俄罗斯路
現在天津東駅前西側駐車場

旧 馬場倶楽部
現在はダンスホール、プール、ボーリング等ができる 遊技場になっている。ボーリング場としては天津初
馬場倶楽部
馬場倶楽部のダンスホール内部

估衣街『谦祥益』の内部
店内は西洋式を真似て作ってある
估衣街
天津フランス租界の『老西開』教会内部

1906年王益孫、厳範孫などの献金によって建てられた「南開中学」。
1976年地震によって破壊され77年復元された南開中学「伯苓楼」

現「粤唯鲜」レストラン
1937年建築「疙瘩楼」
1937年建築「疙瘩楼」
イタリア建築家 P.Bonetti設計
海河沿いイタリア租界地にある塔式の家
海河沿いイタリア租界地にある塔式の家(2002年11月撮影)

零落 小洋楼文化

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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