中国人はふるさとを愛し ふるさとに一種の「宝地」という感情を抱く。
天津人が天津について話すと 天津ではどんなことも良いように聞こえる。
天津で商売をする時には どんなものでも『本地(天津産)』という2文字が付いていないといけない。
「本地白菜」「本地大根」「本地エビ」に始まり 「本地太刀魚」に至るまで本地をつける。
事実 太刀魚は天津ではなく 黄海で採れるもので 天津のものではない。 しかし 「本地」をつけないと天津人は買わないのだ。
これからわかるように 天津人は 心の中に 「天津が宝地である」という気持ちが強く
ここまで来ると 逆に滑稽で かわいい。
天津人から見れば天津にはいたるところに 「宝」がある。 この宝とは単に農作物に限ったものではなく
もっと広義な意味として使われている。
つまり とにかく天津人が自慢したくなるものこれが全て宝なのである。
天津人が、ひとたび天津衛 三宗宝の話を始めると まるで 他の世界には
このようなものが 無いかのごとく 自慢をする。
鼓楼:
鼓楼は城郭の真ん中にぽつんと立ち 上の窓は既に壊れたまま 今や誰も管理していない。
だから 無料で上り すぐに厭き そしておりてくるような鼓楼だ。
鼓楼に上って 4本の大通りを見渡し 下を忙しそうに歩いている人を見ているとここは 確かに賑やかな所だと思い起こさせる。
でも 鼓楼にもっとほかのことがあるかと言えば 何も無い。
鼓楼の家屋はとっくにもとの姿を留めていないし、通路は雑草が生え 屋根には燕が巣を作っている。
窓にはもうガラスは無く 風が吹き抜け 怖くなるほど物寂しい。
何百年もの長い月日 風雨に蝕まれ鼓楼は何時しかその光を失ってしまっている。
鼓楼は明弘治三年に建設され 初めは「鐘鼓楼」と呼ばれ その後「鐘代鼓」となり 朝晩108鐘の音が響き渡った。
天津人は この鼓楼に一種の特別な感情をもっており また この鼓楼を一つの天津の象徴と見て自慢するのだ。
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現在の鼓楼: 2001年10月新しく建てなおされる。 2002年6月撮影
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鼓楼は 明の時代に建設され 天津城壁のなかの中心に位置
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| 私が天津に来たころは まさに 壊れかけた鼓楼が 旧市街地の中にあった。
しかし この鼓楼が2001年10月国慶節に新しく建て替えられ 生まれ変わった。
でも 残念なのは この前まで 不要だった入場料が取られる事になった。
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炮台:
<現在の炮台と歴史はここをクリック>
天津の第二の宗宝は炮台である。
炮台は 明代崇禎年代に建設された。
これは もともと 清が南下してくるのを防ぐために作られ 全部で7つの炮台があった。
今天津に炮台庄という地名が残っているが ここの炮台はすでになくなってしまっている。
三岔河口に一つ炮台があり これは天津7炮台の一つで、清同治13年 改築されたものである。
炮台の周囲は230丈(759m)で 同時に5階建ての塔をも建設した。
当時の天津にとって 非常に雄大なものであったのだ。